■情報活動

災害・復興速報

大火発生後、散りぢりに避難した罹災者や一般市民に、いかに正確に そして又迅速に事後の情報を提供するかが、復興への第一歩であった。
よって、大火直後の11月1、2日の山形新聞朝刊に「広報さかた災害速報」を 掲載し3号以降は別刷りとして「広報さかた災害速報告知板」を発行、 新聞折込みとして家庭に配布した。以後51年12月30日まで30号を 発行したので、単純な計算では2日に1回の割で刊行したことになる。 広報車によるマイクの呼びかけや、焼け跡に告知板を立てたりしたが、 この速報がもっとも効果があった。
年が明けた52年は「復興元年」を合い言葉に、速報名も「復興速報告知板」と 改めたが、緊急の告知も減少し、53年2月25日号をもって最終回とした。

■相談所の設置
罹災者の緊急相談にそなえて、各種相談所を、市役所内に開設し、関係各庁、 会社職員が出張して相談に応じ、的確な処置を行った。

火災保険所の相談所

10月31日〜11月4日 於市役所
損保各会社代表によって、市役所正面ロビーに共同事務所を設置した。 損保全体で約1,600件、アットリスク64億円程度という金額が 判明した。 次いで消失地域に対する損害査定の準備に入り「全焼地区に対しては、 手続きを簡単にして迅速な支払いを行え」との方針が説明され早急に 実施された。

税務相談所

国県市三税共同税務相談所
11月2日〜24日 於市役所
納税の期日が迫っており、早急に税に関する救済(納税の猶予、租税の 軽減免除)を図る必要があった。また国県市の税務相談を一ヶ所で すませられるよう、三者共同の税務相談所を市内各所に開設した。

相談件数
所得税関係…258件。法人税関係…59件。譲渡所得関係…36件。相続関係…5件。
源泉所得関係…407件。酒税関係…40件。その他…23件。
計828件

酒田税務署2階には「災害相談コーナー」を設置し、税理士会主催で 市内百貨店、産業会館内で「税務相談所」を行った。

無料法律相談所

12月11日と15日 於市役所
今回の災害では、借地、借家等のむずかしい法律問題が予想されたので、 弁護士、裁判所職員、法務局職員による相談を行った。

雇用保険相談所

11月2日から 於市役所
中心商店街が全焼したため、商店勤務の人々が即日失業という状況になった。 特に雇用保険に未加入の小規模商店の救済のため、さかのぼって1か年の 保険料を納付させ、加入者と同じく認定をするという特例を施行した。
相談数 雇用保険加入業者23件。未加入業者25件。
大火による失業者数約200名。うち100名が仮設店舗、 並びに復興商店に復帰でき、他の100名は他に就職した。

国民年金移動相談所

11月11日〜16日 3カ所移動
老齢年金の消失や、加入猶予、住所変更等、年金にかかわる相談所を、 市保健課分室、母子福祉センター、中央公民館で開設した。

災害復興土地区画整理事業相談所

11月8日から 於市役所
なぜ自分の焼跡に自分の家をすぐ立てられないのか、という罹災者の 疑問と不安を取り除くことと、区画整理事業のより深い理解を求めるために、 合同説明会、地区別説明会と併行して個人相談所を、市役所内に開設した。 区画整理事業は12月29日までに事業認可を受ける必要があり、 市民の協力は一刻を争う緊急事であった。

相談所開設初日の相談件数は48件で、11月中だけでも延621件に 達した。11月中の相談には不安感が多く、1.自分の土地はどこに、 どのようになるのか。2.整理前と同じ場所に住めるのか。3.安い 代替地はないか。などであったが、12月に入ると換地に関する希望が 多くなり、12月1日から開設された山形県酒田火災復興建設事務所の 相談分を含めると、主たる相談内容とその割合は次表に示された ものである。

主たる相談内容とその割合

相談内容 51年
11月
12月 52年
1月
2月 割合(%)
区画整理され新しく道路や公園ができると、
自分の土地は「どこに」「どのような」土地があたえられるのか
131 54 188 18
区画整理後も従前と同じ場所に住みたいができるでしょうか 143 100 12 256 25
市が買収する買収すると地の価格と希望する土地の価格があえば、
地区外へ移転しても良い
130 50 180 17
区画整理されることにより借地、借家権者は、どのようになるでしょうか 62 16 79
仮換地等計画の進行状況は     18
審議会とは        
計画変更のなかみ      
整地の承諾書関係     14
その他 155 77 43 15 290 28
621 297 81 35 1,034 100
■説明会

合同説明会

復興への基本計画である区画整理事業への、罹災者の理解と協力が 急務であることから、その説明会が開かれた。まず被災地区を 4ブロックに分け、第1回目を11月8日産業会館で行った。
市長以下関係部課長、市議会特別委員等が出席して、次のことを 強く要望した。

    1. みんなが少しずつ公平に土地を出し合うこと
    2. 新しい宅地の場所が変わること
    3. 建物の移転には補償のあること
    4. 住民の意見は審議会に反映されること
    5. 事業は早く進めたいが、順調に進んだとしても新しい土地での新築は
      53年3月10日以降になること
    6. 減歩を少しでも緩和するための土地の買収が必要であること

説明後、罹災者から鋭い質問が飛んだ。迅速な復興計画には賛意を 示しながらも、住民に一言の相談もなく原案が決められたこと、 減歩無償に対する不満などさまざまの意見が出たが、 基本計画に反対する人は唯一人もいなかった。

各地区説明会

被災地区には、8つの商店会と19の自治会があり、この単位で連日 説明会がもたれ、12月に入ってからも事業計画の中味について続けられ、 年が明けてからは、換地の説明を中心に県・市合同で実施され、 4月上旬までに61回延千名に達した。
計画に対する意見書18件
区画整理事業計画に対する縦覧は、11月27日から2週間と定め、 地権者の意見提出期日を12月24日までと告示した。 説明会等による必死の説得にかかわらず、住民の理解をえられず、 既存道路の廃止反対、クランク道路やコの字型道路の廃止などを含めて 18件の意見書が知事宛に出されたが、12月27、28日の 山形県都市計画地方審議会で全部不採択となった。
大幅に民意を反映 事業計画の一部変更
市民の意見書は不採択となり、予定通り建設大臣の承認を得て12月28日 認可されたが、市民の個人的、組織的な反対の声は激化する一方となり、 このままでは円滑な事業は不可能と判断し、年末から年始にかけて 変更案の具体的作業が県・市で調整された。

その結果、計画の変更は、1.防災都市づくりの基本計画は変えない。 2.区画道路がふえても減歩は当初計画の13.05%を上まわらない 等を前提条件にして、変更修正原案を各代表者に説明し、 大筋の了承を得て1月15日より事業計画の変更縦覧に入った。 この発表によって、激烈な反対運動は徐々に下火になり、2月11日の 意見書締切り日までに一件の意見提出もなく事業は軌道にのった。