火元のグリーンハウス(映画館)の風下に、協働社の木造二階建のビルを 始め数軒隣接しており、火災はこれら木造家屋を焼きつくして延焼したと 推定される。 大沼デパートへは、東側の飾窓の一部を加熱により破壊し、そこから火が 進入し二・三階の可燃物を焼きつくしながら上階へ移ったと推測される。 同デパートの五階の西側、及び東側の窓が破壊されたため、五階全体だけが 吹き抜け状態になり、炎と飛火が中町通りを越えて吹き出して、隣の 街区への延焼を助長させたと思われる。
三階建の耐火建物であるてぶくろ横丁の東側には、池田洋品店等の木造 家屋があったが耐火建物の陰になり延焼着火が遅れた。 大沼デパートから噴出した炎と飛火により、中町通りの反対側の太田商店、 及びごろや商店の裏側に延焼着火した火災前線は西よりの風に煽られて 順次拡大して海晏寺の方向に移動した。マルイチ中町マートは非常に長い 三階建の建物であり、ほぼ南北方向に建てられていたため、一時的に火災の 拡大を遅らせる働きをしたが、いったんその中に火災が進入してからは、 建物の内部を火災が一街区を走り抜けて、たくみ銀座通りを越えて、一部 三階建の木造の中央座の軒下に延焼した。
この頃、すでに火の玉、火の粉が多数発生して中町一丁目の飛火による 延焼着火が発生しているが時間別には次の通りである。

18時ごろ

17時40分ごろ、グリーンハウスから出火した火災は、18時ごろには 猛烈な火の粉を吹きだし、風に乗って約1キロメートル離れた酒田駅周辺に 激しい火の粉を降らせた。その後、風向きは中町通りと平行に変わった。

19時ごろ

火災は、大沼デパートと、てぶくろ横丁の間を抜け、大沼デパートに入る。 大沼デパートから噴出した炎と飛火により中町通りの反対側のト一屋隣の 商店の裏側に延焼着火した火災前線は西よりの風によって順次拡大して 海晏寺の方向に移動した。

20時ごろ

大沼、産業会館、てぶくろ横丁、中町マート、ケルンなどの耐火建物に 囲まれていた火災は、中町マート内に火が走り、内匠通りを越える。 中町マートの建物は非常に長い三階建であり、ほぼ、南北方向に建てられて いたため、一時的に火災の拡大を遅らせる働きをしたが、いったんその中に 火災が進入してからは、建物の内部を走り抜け内匠通りを越えて、一部 三階建の木造の中央座の軒下に延焼した。 この頃を境に火の玉、火の粉は浜田小学校の方向に飛散。中町一丁目の 各所で飛火による延焼着火が発生した。

21時ごろ

火災はアーケード又は中町通りに沿って進む一方で、商店の裏側の露出した 可燃物を通じて拡大した。このころには耐火建物と消防活動だけでは、 もはや包み込めない程の勢いとなり、火災は出口を求めて中町通りを 激しい勢いで走り抜けようとする。 大沼からたえず噴出する炎と火の粉、家屋群が燃上することによって 発生する炎と火の粉は、中町通りのアーケードの上を走り抜けて行く。 そして燃えやすい家を選んでは火をつけていくようになる。図内の番号は、 消防士の証言による家屋の着火順序である。 中町通りではアーケード上を先兵として火が走り、下はそれよりおくれ、 二段構えで火が走ったと思われる。 一方、内匠通りでも中央座が燃上、炎と火の粉が走る。

22時ごろ

火流は、中町通り、内匠通りの二本の道路を強風によって引っ張られて いった。この時期まで、火流は中町通りが先行し、勢いも強かった。

23時ごろ

このころになると中町と内匠町の火流の勢いが逆転する。中町の火流は 浜町につき当り、耐火建物が多いため大幅に勢いを弱める。内匠町の 火流は上り坂となっているため勢いを増して愛宕神社へかけ上る。その勢いのまま浜町通りを越えて一番町、新井田町へかけ下ったと 思われる。浜町通りには耐火建物がくしの歯状に建っていたことも火流の 速度を速める原因となった。川幅が狭くなると水の流れが速くなるのと 同じ原理である。 こうして勢いを増した内匠町の火流は、弱まった中町の火流を引っ張る 形となり、同じ方向へ合流した。

24時ごろ

二本の合流した火流は、一番町、新井田町を燃やし新井田川へとすすむ。 中町通りの火流の大部分は浜町から左に折れ、寺町の方に引っぱられて いくが、一部は右に折れ内町にすすんだ。その勢いは非常に弱く、 いやいやながらという形でゆっくり燃え移っていきた。 このころから、火の玉、火の粉は新井田川を越え、東栄町、若浜町、緑町 方面に飛散する。

1時ごろ

火は一番町、新井田町にひろがり一部は新井田川に至る。一方内町に折れた 火は弱いながら次第にひろがっていく。破壊消防が行われたのはこの火災に 対してであった。ただ一軒燃え残った住宅は、中町通りを走ってきた火流が、 浜町通りにつき当たり、大部分が左へ折れ、一部が内町へ、と分流現象を 起こす場所に位置していた。中町通りの火流が、左と右に分かれる地点から すこし奥まった絶好の場所に位置していたわけである。

2時ごろ

火は新井田川に至り、一番町、新井田町は火の海となる。燃え残った住宅は 北側が土蔵、樹、空き地で西側と南側は駐車場というように、火災には 三方向をブロックされていた。しかも、みぞれまじりの雨が時おり降るため、 これらの土蔵、樹、空き地、駐車場、住宅は絶えず濡れた状態にあり、 火の粉、熱風、輻射熱は大幅に弱められた。一方東側の新井田町一帯の 火災に対しては風上に位置し、風上からは冷たい風が吹き込んで冷却し 続けていたので燃え移る危険性はない。一軒だけが奇跡的に燃え残った ようにもみえるが、このようにしてみると、十分な必然性があることが わかった。

3時ごろ

火は新井田川沿い一体にわたって燃えひろがったが、対岸での消防隊の 直上放水、また、雨が一段と激しく降ったことなどから4時過ぎには 対岸への延焼の危険性は去った。