■廃墟の中で原案づくり
残り火がくすぶる31日早朝から、酒田市役所において、建設省、山形県、 庄内支庁建設部、酒田市都市計画課など国と県と市が一体となって 火災復興都市計画の作業が開始され徹夜作業の末、11月1日夜半に なって、防災都市づくりの計画概要が完成した。
この復興計画の原案は、酒田市都市計画審議会の了承をえたあと 一週間後に市民に公表された。原案のねらいは「防災都市の建設」を 柱とし次の4点を骨子としたものである。
  1. 将来交通量に対応した幹線道路の整備
  2. 近代的な魅力ある商店街の形成
  3. 住宅地の生活環境の改善整備
  4. 商店街と住宅街の有機的な結びつけ
■将来の交通量に対応した幹線道路
復興計画の基本となる幹線道路については、山形県庄内地区総合交通計画 調査委員会でまとめた中間報告を参考とした。この調査報告では、 現在の国道7号線は昭和49年交通量が1万〜1.7万台であるのに、 昭和60年では1.5万〜5.4万台となり、駅前通り、秋田町通り、 浜町通りの市内幹線は、現在よりも1.5〜3倍近くに交通量が増大し、 各路線とも1日1万〜1.7万台と予測されている。
このための重要路線は4車線に拡幅することになり、その道路幅も現在の 8〜15mから25m以上の幅員となった。更に浜町通りなどは、 商店街としての機能を満足させるための歩道と植樹、そして防災空間上の 必要性から全幅32mの広幅員道路として位置づけられた。 また住宅街の幹線道路として新井田町を南北に貫通する幅12mの 都市計画道路を設定した。
■商店街の振興と住環境の整備

被災地区の大半は酒田市の繁華街であり商業の中心地でもある。 酒田随一のメインストリートにふさわしい魅力的な近代的商店街づくりの 軸として考えられたのが、中町通り、内匠町通りに計画された幅員12mの ショッピングモール(歩行者専用道路)である。
庫の歩道は浜町通りを地下道で横断し、新井田町の歩行者専用道路(幅8m) 及び各種公園と連絡し、更に新井田川に架橋することにより、東栄町方面の 新興住宅街と直結される。これら3本の歩行者専用道路は車優先の社会から 脱出をはかり非常の場合以外はすべての車を排除し買物道路、通勤通学、 自転車道路として利用され安全、快適な都市環境を生み出すものと 思われる。
区画道路の計画について特に配慮されたものは、

  1. 商店街のサービス道路の新設
  2. 通過交通排除のため、従来の十字型交通網を整理しながら、 T字及びコの字型とする
  3. 全ての宅地は公道に面するようにする
  4. 酒田における冬期北西の風を考慮して、住宅地の道路は南北方向を 主なる軸となるよう設計された
    (道路の雪が早くとけやすいことと、北側が玄関となる宅地の減少)
■緑の都市空間の確保
都市緑地、駐車場等の都市空間、緑の社寺用用地等が防災上に果たした 役割については、酒田大火の焼け止り線を見るだけでも既に議論の余地はない。 酒田市の都市公園の数と面積は足しに劣るものではないが、その大部分は 市街地周辺に遍在している。
復興計画ではこの点を重視し、被災地を三ブロックに分けて五ヶ所の 公園を配置し、各公園は歩行者専用道路と有機的に結合して市民の利便を はかり、かつ防災上の都市空間となるよう計画された。中町にある公園は 商店街の広場だけではなく、市民の憩いの場所としての大きな使命を 持っている。市民がそこに集まりショッピングを楽しむと共に、 お祭り広場としても利用されよう。一番町の公園は、新しく建設されて、 資料館用地と一体化された都市緑地であり、新井田町の公園は子供の遊びと 老人の憩いの場所として広く活用される。
■防火地域の新設と不燃建設の促進
酒田市の都市計画ではこれまで防火地域の指定地はなかったので、 消防本部を中心としてその見直しを検討した結果、
1.年間の風向、 2.消火用水利の状況、 3.延焼防止の都市施設等
の面から、臨港線と新井田川に囲まれた旧市街のほぼ全域にわたる、 約248haに拡大して大幅に変更することにした。
この検討に当たっては、県の意見も取り入れ、又防災研究所の提言も 充分に参考にしながら「必要にして最小限度」の区域とすることで 意見がまとまった。具体的には、中町商店街の東西に幅約70m、 長さ約450m、浜町地区には南北に幅62m、長さ約350m、 T字型の防火地域が誕生することになった。