このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動

サイトメニューここから
本文ここから

酒田市名誉市民・特別名誉市民

更新日:2019年4月12日

酒田市名誉市民

本市の住民又は本市と特別に縁故の深い方で、政治、経済、産業、教育、文化その他広く社会の進展に貢献し、市民から等しく郷土の誇りとして深く尊敬されていると認められる方に対して、その功績をたたえ議会の同意を得て、名誉市民の称号を贈呈するものです。
(※各功績については一部を除き受章当時のものとなります。)

故 土門 拳 氏(昭和49年1月23日)

明治42年10月25日から平成2年9月15日(1909年から1990年)
世界的な写真家として活躍され、代表作に「古寺巡礼」、「筑豊のこどもたち」、「ヒロシマ」などがある。
妥協を許さない真摯なカメラワークで、他の追随を許さぬ独自の存在として知られ、写真を芸術の世界にまで高めた日本最高の写真芸術家であるとともに、世界的にも注目された写真界の巨匠である。
主な受賞としては、第1回アルス写真文化賞をはじめ、毎日出版文化賞、毎日写真賞、日本写真批評家協会賞、毎日芸術賞、芸術選奨、国際報道写真展金賞、仏教伝道文化賞、朝日賞など多数。
また、ライフワークである「古寺巡礼」で第19回菊池寛賞受賞、「ヒロシマ」がニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに収められるなど、氏の作品は国内外で高く評価されている。
そうした数々の功績により、昭和48年に紫綬褒章、昭和55年に勲四等旭日小綬章を受章。
土門氏自らの申出により、全作品約7万点が酒田市に寄贈され、日本最初の写真美術館である「土門拳記念館」にすべて収蔵され、順次公開されている。

故 加藤 千惠 氏(昭和62年7月27日)

明治37年1月23日から平成3年4月14日(1904年から1991年)
宝塚歌劇団の声楽教授として活躍した後、終戦後酒田に帰郷し、市民の音楽指導に情熱を注いでこられた。シャンソン歌手である岸洋子氏、テノール歌手である市原多朗氏など世界的な歌手や著名な音楽家をはじめとし、中央で活躍している人々の指導に取り組まれ、市民から深く敬愛されている。
昭和31年には、東北地方では初めてといわれている勤労者によるオペラの上演を成功させ、その後も「フィガロの結婚」や「椿姫」などを酒田市のみならず京都でも公演し、酒田市、山形県の音楽レベルの高さを示すなど、本市の音楽活動の基礎を築いてこられた。
このような先駆的な取り組みにより、昭和32年に山形新聞3P平和賞を、昭和40年には斎藤茂吉文化賞を受賞されている。

故 中村 恒也 氏(平成15年9月8日)

大正12年3月8日から平成30年12月25日(1923年から2018年)
昭和19年、第二精工舎(現セイコーインスツルメンツ株式会社)に入社し、昭和39年には、中村氏が開発を推進した水晶時計が東京オリンピックの公式計時に採用され、日本の技術力を世界に大きく示すことになった。経営者となってからは、世界的な環境問題となっていたフロンの製造工程からの全廃を決意し、代替技術の開発、実用化のみならず、その成果や技術情報を外部に公表してオゾン層破壊物質削減に努められた。
セイコーエプソン株式会社社長として腕時計事業を育成・拡大し、プリンターなどの情報機器関連事業や電子デバイス事業への多角化を成功裏に導かれた。また新たな工場建設を検討していた中で、先端技術産業の誘致を進めていた酒田市への事業展開を決断された。
これまでの功績により、科学技術庁長官賞・科学技術功労者表彰、藍綬褒章、米国環境保護庁成層圏オゾン層保護賞、勲三等旭日中綬章など数々の表彰を受賞(受章)されている。
受章後、氏の寄附金をもとに創設された中村ものづくり基金を活用し、チャレンジものづくり塾やサイエンス発明教室など、子どもたちがものづくりに興味をもつような事業が毎年開催されている。

故 原 のぶ子 氏(昭和62年9月21日※旧松山町において名誉町民の称号を贈呈し、合併時に引継がれる)

明治34年2月18日から平成9年8月5日(1901年から1997年)
共立女子職業学校(現 共立女子大学)を卒業後、文部省より欧州各国の裁縫教授に関する調査の委託を受け渡仏し、フランスで服飾デザインを学び、日本で初めて「フランス式立体裁断法」や「フランス式洋裁教育」を導入し普及させ、日本の服飾デザインの現在の標準を築き上げた。その後も服飾界の調査・研究のため、たびたび渡仏し、戦後の日本服飾界のパイオニアとして貢献された。
昭和23年には「原のぶ子アカデミー洋裁」を設立され、日本の洋裁学校に大きな影響を与えるとともに、日本の服飾界を大きく変化させていった。
また、昭和27年には米沢女子短期大学の教授に、昭和50年には同大学の名誉教授となり、指導者の育成にも力を注がれた。昭和28年にはデザイナーズクラブ「サロン・デ・モード」を創立し、日本で初めてファッションショーを開催するなど、服飾界の指導的人材育成に心血を注いでこられた。
これまでの日本服飾界の発展の数々の功績に対して、昭和51年に勲五等瑞宝章を受章されている。

新田 嘉一 氏(平成16年6月24日※旧平田町において名誉町民の称号を贈呈し、合併時に引継がれる)

生年月日:昭和8年10月6日(1933年)
株式会社平田牧場を創設し、株式会社太陽食品をはじめとする平田牧場グループの代表として、食肉の生産と加工、販売などの一貫経営に努めてこられた。
また、これまでも酒田商工会議所会頭や酒田市体育協会会長、東北横断自動車道酒田線建設促進庄内期成同盟会会長、東方水上シルクロード貿易促進協議会会長、山形県日中友好協会副会長、東北公益文科大学理事、同大学後援会会長など、多くの要職を歴任された。この間常に地域の振興、発展を願い、特に中国新航路である東方水上シルクロードの開設や東北公益文科大学の開学、庄内地域の高速交通網の整備促進、さらには新田産業振興基金の創設などに尽力され、庄内、県はもちろん、全国、国際レベルで産業、経済、教育、文化等広くその進展に貢献された。
このような功績から紺綬褒章、内閣総理大臣褒状、環日本海新潟賞山形県産業賞などの数多くの表彰を受賞(受章)されている。
受章後も、株式会社北前船庄内代表取締役、東北公益文科大学理事長を歴任し、全国的な交流ネットワークによる観光振興や人材育成の充実のための大学改革に精力的に取り組まれる一方、幅広い人脈と情熱により、庄内の悲願であった日本海沿岸東北自動車道の全線事業化決定(平成25年5月)にも大きく貢献された。

市原 多朗 氏(平成28年12月12日)

生年月日:昭和25年1月2日(1950年)
17歳の時から本市名誉市民の加藤千惠先生に師事し、昭和44年、山形県立酒田商業高等学校を卒業。昭和55年に東京藝術大学大学院独唱専攻科を修了され、オペラ界へデビュー。昭和56年に渡欧し、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院を最優秀で卒業。昭和59年、「世界一の音楽祭」といわれるザルツブルグ音楽祭に日本人歌手として初出演し、その後パリ・オペラ座やニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など世界中で活躍された。
昭和54年第15回日伊声楽コンコルソ第1位、日本音楽コンクール声楽部門第1位。昭和55年第27回文化放送音楽賞、山形新聞3P賞「平和賞」、昭和61年ジロー・オペラ賞、昭和62年芸術選奨文部大臣賞新人賞、ジロー・オペラ大賞、平成2年酒田市特別功労表彰など、数々の賞を受賞。
県内では、平成14年の全国植樹祭、平成28年9月の全国豊かな海づくり大会で天皇、皇后両陛下ご臨席の下、県民歌「最上川」を演奏された。
テノール歌手として世界一流の地位を不動のものとし、本市の芸術文化振興に尽力されるとともに、市民の心に希望をもたらしている。

酒田市特別名誉市民

名誉市民に該当する方がお亡くなりになられたときに、その功績をたたえ議会の同意を得て、ご遺族に対して特別名誉市民の称号を贈呈するものです。
(※功績については受章当時のものとなります。)

故 前田 巌 氏(昭和62年7月27日)

明治39年3月30日から昭和61年8月19日(1906年から1986年)
昭和4年から製管業を営み、昭和23年前田製管を設立された。
昭和22年、東平田村議会議員を皮切りに、県議会議員、県議会議長を歴任し地方自治の振興に尽力するかたわら、酒田商工会議所会頭としても地方産業育成のために貢献された。特に酒田市大火の際は、商工会議所会頭としてその進むべき方向を的確に示すとともに、低迷する企業に対しては、献身的な働きかけと援助を図るなど、復興の早期実現に大きく貢献された。そして、氏の熱意と努力の集大成といえるものが庄内空港の建設事業である。
昭和56年に庄内空港建設促進期成同盟会を設立し、自ら会長としてその実現に奮闘された。その奮闘ぶりは「ミスター庄内空港」と称されたほど、たぐいまれな熱意をもって国に働きかけ庄内空港の実現に尽力された。
このような、数々の功績により藍綬褒章、紺綬褒章をはじめ、建設大臣表彰、勲三等瑞宝章を受賞(受章)するなど数々の表彰を受けるとともに、昭和61年には正五位を授与されている。

故 相馬 大作 氏(平成26年9月19日)

昭和4年2月15日から平成26年8月21日(1929年から2014年)
早稲田大学第一商学部を卒業、衆議院議員秘書を経て、昭和46年5月に酒田市長に就任。以来、平成3年5月までの5期20年の長きにわたり、常に時代を見据え、今日の本市の礎となる数々の事業を推進、達成してこられた。
特に、酒田北港建設や庄内空港および東北横断自動車道酒田線の早期建設に全力を傾けて取り組まれるとともに、企業および観光施設の誘致や農業、社会福祉、教育、国際交流の各分野においても先進的な取り組みを積極的に実行し、本市の産業活性化や市民の生活向上に大きく貢献された。
忘れてならないのは、昭和51年に発生した酒田市大火での被災直後から災害復興までの連日連夜の取り組みであり、全市民が一丸となり、わずか2年半という短期間に復興事業を成し遂げたその手法は、非常に高く評価されている。
また、本市出身の写真家土門拳氏の作品を後世に伝えるために土門拳記念館を建設し、市長退任後は理事長として、施設の運営と写真文化の発展に尽力された。
このような、数々の功績により、平成4年に藍綬褒章、平成20年には旭日中綬章を受章するとともに、平成26年に従四位を授与されている。

お問い合わせ

総務部 市長公室 広報広聴係
〒998-8540 酒田市本町二丁目2-45
電話:0234-26-5706 ファックス:0234-26-3688

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで


以下フッターです。

酒田市役所


〒998-8540
山形県酒田市本町二丁目2番45号
電話:0234-22-5111(代表)
開庁時間:平日午前8時30分から午後5時15分
(祝日、12月29日~1月3日を除く)
Copyright (C) City Sakata Yamagata Japan All Rights Reserved.
市へのご意見

フッターここまでこのページのトップに戻る