更新日:2025年9月22日
第56回を迎える酒田民俗芸能公演会「民俗芸能フェスタ」を開催します。
酒田市内はもちろん鶴岡市、遊佐町からお招きした民俗芸能団体の皆さんが伝統芸能を披露して、華やかに共演します。また、今回の公演には、初出場の団体が2団体参加しており、新たな息吹と技が光る演技をお届けします。当日は、多彩な団体による熱意あふれる演技が次々と披露され、その迫力と美しさを存分にお楽しみいただける内容となっております。
各団体の素晴らしい演技をご覧いただくことで、地域に伝わる伝統芸能の魅力を皆様に再発見していただければ幸いです。
民俗芸能フェスタは、民俗芸能という文化を次世代へ伝承するための大切なイベントでもあります。皆様のお越しによって、地域の民俗芸能が更なる盛り上がりと活気あふれる場となることを願っております。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
期日:令和7年11月23日(日曜)
開場:正午
開演:午後0時30分
酒田市民会館「希望ホール」 大ホール
無料
酒田市民俗芸能保存会・酒田市
酒田市教育委員会
演目:1.向陽具現 2.入船祝
上田地区に伝わる“上田太鼓”は、北前太鼓に所属していた地元の青年らが中心になって平成5年に「上田太鼓育成会」としてスタートしました。当時は旧上田小学校の多くの児童が参加して、翌年には「東北太鼓フェスティバル」に出演するなど活発に活動していました。平成9年に小学校の統合で新しく鳥海小学校が開校すると本楯地区の児童も加わり活動の輪が広がりました。しかし、児童数の減少と共に団員も減りついに平成30年には活動休止に追いこまれましたが、2年間のブランクを経て地区住民の支援を受け令和元年度に「上田太鼓連中」として活動を再開しました。今は南遊佐地区の児童も加わり、令和3年度は鳥海小学校のクラブ活動にも取り入れてもらうなど、地域と学校が連携して活動を支えてくれています。練習は毎週木曜日の夜7時から1時間、団員は児童、園児15名と大人が4名です。地区の夏祭りや敬老会、文化祭での演奏を目標に楽しく練習しています。
演目:大黒舞
十坂小学校では5 年生が稲作の学習に取り組み、その成果として大黒舞を文化祭で披露しています。大黒舞の披露は創立100周年の時から伝統的に続いており、今年で48 年目になります。練習では地域の先生が学校に来てくれて大黒舞を教えてくれます。昨年からは卒業した先輩達が先生となって振りの指導してくれています。このように十坂小学校の大黒舞は学習の成果であるとともに地域とのつながりの象徴となっています。当日は昨年度新調した衣装を着て精一杯踊ります。
演目:獅子舞
起源は、天正年中(1573 年~ 93 年)に疫病や犯罪が流行したため、それらを祓うために、獅子頭を作り、笛、太鼓で町中を巡回して疫病などを祓い除いたことに由来します。この伝統は現在も続いており、毎年4月4日から10日間位をかけて、氏子の町や村などを巡っています。
また、子ども達用に小さい獅子頭を作成して、練習に励み後継者育成にも取り組んでいます。積極的に外部上演も行っており、保存継承に努めています。
演目:曽我
杉沢比山は、遊佐町の杉沢に伝わる古い舞である。比山の舞台は村の鎮守である熊野神社。正確な記録は残っていないが、その発生は鎌倉時代と推定され、鳥海修験の隆盛と衰微の変遷を経るなかで、いつしか修験の徒から村人の手へ受け継がれてきたものと思われます。
毎年8 月6 日「仕組」、15 日「本舞」、20 日「神送」の三晩行われています。演じられる曲目はもともと24 曲あったが、現在行われている曲は14 曲で、全曲を演じると4 時間程かかります。
今回の演目である「曽我」は、親の仇討ちをする曽我兄弟の舞である。兄の十郎、弟の五郎は富士の巻狩りにきた親の仇工藤祐経の館に忍び入り、三太刀ずつ切って本望を遂げる勇壮な二人舞です。
演目:神子舞、獅子舞、天狗舞、剣舞、雑魚掬舞と掘り物舞
明治4年の廃藩置県の際、門田の古文書の類は時の庄屋により焼き捨てられたため、詳しい起源は定かではないが、およそ宝暦年間より伝承されていると言い伝えられています。
当時流行した悪疫や、門田沼による水害などの難から逃れようと始めたと言われ、一時すたれた時期があったものの、今日では、毎年例大祭にて奉納されています。
演目:本振り
酒田市(旧八幡町)の飛澤神社は、平安時代貞観13 年(871 年)の鳥海山噴火を鎮め奉るために天降堂を創建したことが始まりとされています。
奴振りは、飛澤神社の例祭の折に行われるものである。この奴振りは周辺地域で行われている奴振りと比較しても特徴が異なるものであり、特に先箱(他地域では挟み箱ともいう)を使った一連の動きは特徴があります。
毎年5月1日に例祭が行われ、その中で奴振りによる『門ぶり』や行列が行われる。 現在の形式で行われる例祭、奴振りの起源については正確に記録されていないが、明治42 年に道具の寄贈の記録が残ることから、少なくとも100 年以上続いているものです。