更新日:2018年7月5日
庄内平野は日本有数の穀倉(こくそう)地帯であり、教科書や資料集にも酒田の稲作農家が紹介されています。そのため、次のようなことを尋ねられることがあります。
庄内平野が米づくりに適した場所だからです。
このような条件がととのっている地方では、米づくりがさかんに行われています。
でも、条件がそろっているだけではおいしいお米は作れません。
おいしいお米をいっしょうけんめいにつくろうとする農家の人たちの努力と情熱があってはじめて、おいしいお米ができるのです。
稲作が日本に伝わったのは、今から2,400年から2,500年も前のことで、中国大陸から九州北部に伝わったと言われています。
日本の気候が稲作に適していたこともあり、あっという間に北上して日本中に広まりました。
庄内地方に稲作が伝わってきたのは、今からおよそ2,200年から2,300年くらい前のことだと言われています。
また、1,672年に江戸(今の東京)が大ききんにおそわれたとき、庄内のお米を大量に運び、江戸の危機を救ったと言われています。
山形県の北西部、日本海に面した庄内平野は、大昔「潟湖(せきこ)」といって、海とつながる大きな湖でした。
その湖に山形県内を流れる最上川が運んでくる土や砂がたまって、だんだんと埋められていき、今では南北に100キロメートル、東西に約40キロメートルにおよぶ広大な平野が形成されました。
奈良時代の初期、712年に出羽の国が置かれてから、「柵戸(さくこ)」と呼ばれる開拓者(かいたくしゃ)が庄内にやって来て、田んぼづくりに本格的に取り組んだところから、庄内平野の米づくりの歴史が始まりました。
また、庄内地方で田んぼが長方形になったのは、明治時代末期から大正時代の初めに田んぼの耕地整理を行った頃といわれています。
田んぼを長方形にすることにより、農業機械が使いやすくなり、生産力が大きく向上しました。
今から1,300年ほど前、お寺や神社などで管理していた土地を荘園(しょうえん)と呼んでいました。
庄内地方にもあちこちに荘園があり、「荘園」の内側という意味の「荘内」という言葉が使われるようになりました。
現在では「荘」の漢字をかんたんにした「庄」の字になって、庄内という地名になっています。
平成28年産米の数字ですが、山形県全体では395,200トン(1トン=1,000キログラム)、庄内地方では159,500トン、酒田市では40,300トンの収獲がありました。
なお、10アール(1アール=100平方メートル)あたり624キログラム程度の収量となります。
田植えは、毎年5月の上旬から中旬に行い、稲刈りは、9月中旬から10月上旬に行います。
田んぼを耕すトラクター、耕うん機、田植え機、農薬をまくときに使う無人ヘリコプター、稲刈りをするコンバイン、乾燥機などたくさんあります。
このような機械はとても値段が高い(コンバインの価格は、700万円から1,000万円以上します)うえに、作業の効率化によって、1年のうち1週間から2週間しか使いません。
そのため、最近では何軒かの農家が集まって、共同で機械を買い、効率よく使う工夫をしています。
同じ場所でお米をつくり続けると、稲が育つために大切な栄養分が田んぼからだんだん少なくなっていきます。
そうすると、稲が病気にかかりやすくなったり、稲が倒れやすくなったり、お米の味が悪くなったりします。
そのため、庄内平野の農家の人たちは、おいしいお米に育てるために、また、病気にかからない稲を育てるために、田んぼの土づくりを工夫しています。
稲が丈夫に育つための養分を多く含んでいるということはもちろんですが、水分や養分を逃さないように保つ性質があり、さらに田んぼの下に水がゆっくりと染み込んでいくような水はけのよい土地が理想とされています。
庄内平野の農家の人たちは、良い稲に育てるために、丈夫な苗を育てる工夫をしています。
丈夫な苗を育てるために、良い種を選ぶなどの工夫もしています
気候や害虫によって、収穫量が大きく左右されることです。
日照りや大雨によって稲の成長に悪い影響がでたり、虫から稲を食い荒らされたりすることがあります。
そういったことを防ぐために、定期的に稲の生育調査をしたり、雑草を取り除いたり、農薬を散布したりしています。
農薬を使うと言っても、最小限の量におさえて、人の体と環境にやさしい農業を進めています。
庄内地方で一番多くつくられている「はえぬき」は、ねばりが強く、ご飯を炊いて時間が経っても品質が大きくくずれることはなく、おいしく食べられます。いろいろなお米とブレンドしてもおいしく、他のお米との相性がよいようです。
「つや姫(つやひめ)」は、平成22年にデビューした山形県のブランド米です。粒の大きさ、白い輝き、旨さ、香り、ねばり等に優れています。
「雪若丸(ゆきわかまる)」は、平成30年秋にデビュー予定の新しいブランド米です。食味は「はえぬき」を上回り、ねばりとしっかりとした歯ごたえが特長(とくちょう)です。
お米を使った庄内地方独特の料理に、昔からの料理で「弁慶飯」(べんけいめし、みそ焼きおにぎり)があります。
もちろん、山形のお米でおいしいお酒をつくることもできます。ですが、ご飯として食べておいしいお米が、酒用のお米としても優れているとは一概(いちがい)には言えません。
「はえぬき」も酒米(さかまい)としても使われていますが、酒米となると「出羽燦々(でわさんさん)」、「美山錦(みやまにしき)」、「出羽の里(でわのさと)」、「雪女神(ゆきめがみ)」、「亀の尾(かめのお)」などのほうが適しているようです。
山形県内には50以上もの酒造会社があり、それぞれの会社で何種類ものお酒を作っています。
稲が病気になったり、害虫がついたときに稲を守るために使います。
農薬はできれば使わないほうがよいものなので、農家の人たちは、病気や害虫をいち早く発見できるように、毎日田んぼを見回り、できるだけ少ない量の農薬ですむような努力をしています。
田んぼは隣どうしがみんな稲です。
病気になった稲を放っておくと、隣の稲にも病気がうつってしまいます。
稲にとっての農薬は、みなさんがカゼをひいたり頭が痛くなったりしたときに飲む薬のようなものです。
薬を飲むとカゼが治るように、農薬をまくと稲の病気も治ります。
庄内平野のお米の大部分を占める「はえぬき」は、もっとおいしい品種、もっと病気に強い品種、丈が低くて育てやすい品種など、よりよいものを目指して品種改良に取り組み、平成4年に、庄内平野の気候と風土に向いた品種として誕生しました。
詳しくは下にある「お米の系譜図(けいふず)」を見てください。いろいろなお米をかけ合わせて、「はえぬき」が誕生したのです。
「つや姫」や「雪若丸」も、同じように品種改良されて、誕生しました。
品種改良には様々な手間がかかるため、次の例にあるように長い時間が必要です。
(例)
1年目 いろいろなお米の品種を交配する(かけ合わせる)。
2年から3年目 交配した稲の中から、良い株を選び出す。
4年目から 病気や寒さに強いか調べる。
5年目から 新品種候補を選び出す(味、収獲量、育ち方など)。
7年から10年目 選んだ品種を、農家の人から試しにつくってもらう。
おいしいか、お米がたくさんとれるか、育てやすいか、冷害に強いかなどを調べて、合格すれば新品種の誕生です。
庄内地方の鶴岡市にある「農業総合研究センター水田農業試験場」という山形県の機関で新品種の研究開発をしています。
そこでは「おいしい」というのはもちろん、暑さや寒さ、そして病気にも強い品種をつくるため、日々研究をしています。
「はえぬき」や「つや姫」、今年秋にデビューする「雪若丸」もここでつくられました。
また、酒田市の「庄内バイオ研修センター」ではバイオテクノロジーを使って新品種の開発をしていて、「酒田女鶴(さかためづる)」や「酒田まめほの香(さかたまめほのか)」というもち米を誕生させました。
品種改良するだけではなく、できるだけ農薬や化学肥料を使わないで、人の体と環境にやさしいお米づくりを進めていきます。
農家のみなさんや品種改良をする人たちは、常に様々な工夫と努力をしておいしいお米をつくり、そして食べた人から喜んでもらいたいと思っています。
これからも、よりおいしいお米をつくるために、品種改良をする人たちも、農家のみなさんも努力していきます。
酒田市では、お米のほかに大豆などの豆類や、大根やねぎなどの野菜、メロンや柿、いちごなどの果物、花などいろいろな種類の作物をつくっています。
JA全農山形のホームページ(新しいウインドウでページが開きます)もご覧ください
出典・引用元