更新日:2016年10月1日
浄土宗増上寺の末寺である心光寺は、松山藩初代藩主酒井忠恒が入部のはじめ、快南師がここに庵を建て千念寺と称しましたが、その後、寛文6年(1666)に酒田の善導寺六世超誉師が京都知恩院より摂取山成覚院心光寺の名を受けて開山しました。
初代藩主酒井忠恒は超誉師に帰依し、心光寺の興隆を図り菩提寺として、松山藩酒井家の信仰を集めてまいりました。
御廟所は、初代藩主酒井忠恒、二代藩主酒井忠豫、三代藩主酒井忠休を祀っております。初代藩主忠恒は、延宝3年(1675)に高野山、牛込光照寺に葬られましたが、分骨して心光寺に葬られました。二代藩主忠豫は、享保20年(1735)に心光寺に葬られました。三代藩主忠休は、天明7年(1787)に牛込光照寺に葬られ、、御遺髪を心光寺に移し、葬られました。四代以降の御遺骨は、牛込光照寺に埋葬され、御位牌のみが位牌堂に祀られております。それぞれ建てられた御廟所は、昭和44年、旧保廟会の関係者及び有志によって、解体修復が行なわれ、御霊を中央にある初代の堂に合祀されました。正面参道には、左右六基の石灯籠が奉安設置され、忠豫廟の参道には天保5年(1835)の石灯籠一基と家紋入り石灯籠が奉安設置されています。忠休廟参道には、天明8年(1789)の石灯籠六基と家紋入り石灯籠六基が左右に奉安設置されています。
御廟
御廟
松山藩酒井家の菩提寺として、歴代藩主と一族の御位牌が本堂内の位牌所に祀られております。
初代藩主 酒井大学頭忠恒
二代藩主 酒井石見守忠豫
三代藩主 酒井石見守忠休
四代藩主 酒井石見頭忠崇
五代藩主 酒井大学頭忠禮
六代藩主 酒井石見守忠方
七代藩主 酒井紀伊守忠良
八代藩主 酒井大学頭忠匡
名高い馬術の名手であったといわれた初代藩主忠恒は、愛馬の死に逢い、その死を哀れんで城下のはずれに馬塚を作らせた。その後、石堂組がその地に馬頭観音を建てて氏神として祝い、明治41年に心光寺境内に移築して現在に至っております。
地方に馬頭観音堂があるのは珍しく、庄内では1から2を数えるのみです。